自己紹介

著者 近影

プロフィール

『「私」の事業承継 ただいま事業継承中!』を主宰している「なかむらかずみ」です。

私は、東京を拠点に、企業向けの新規事業の立ち上げのコンサルタント業をしています。

最近は、事業承継に向けての新規事業の相談も増えてきています。

私自身が、中小企業の事業承継の当事者になることになり、
経営者である父、家族と一緒に事業承継に向かい合うことになりました。
こうなると身が引き締まる思いではあるのですが、気になることも多いのが正直なところです。

「サポートしてくれる制度があるなら、事業承継について、ちょっと考えてみようかな」という
中小企業も増えていると聞きます。私も、そこに興味はありました。

実際に、似たケースの事業承継があっても、解決に向けてのアプローチはそれぞれ違うことが多いと実感しています。だからこそ、事業承継に関する情報を私なりに発信してみたいと思いました。

きっかけとなる出来事 その1

「はじめまして」にも書きましたが、
父は事業承継はせずに、父の代で手じまいするものだと考えていました。
私が子供のころから、父はそのように言っていたものですから。

私たち家族も、小さい会社がいつまで存在するのかを考えるより、「今」を考えることが大切でしたし、業界自体が斜陽だったこともあり、成り行き上、跡取りはいらないという考えに至ったのだと思います。当時、跡取りが必要なのは、大きい会社の話だと思っていました。

大学生のころ、バブル経済がはじけて、日本経済は閉塞感を帯びていきます。
私が受けた最初の洗礼は、就職氷河期でした。新卒の求人をしない会社が増えてきた頃です。
面接を受けに行っても「うちは女子をとらないけど、何しに来たの?」という企業もありました。

それと同じ時期に、潰れないといわれていた山一証券の廃業があり、社会に激震が走りました。
このとき、歴史のある老舗で、規模の大きい企業でも潰れることは、私にとって衝撃でした。

いろいろ考えた末、就職活動に疑問を持ち、起業する道を選びました。

当時、学生ベンチャーとして起業するという選択はとても珍しかったと思います。すべてが手探りでビジネスを作っていく感覚がありました。とてもワクワクしました。そして、のちにITやネットビジネスを手掛けるようになっていきます。いわゆる、ネットバブルの到来です。インターネットの可能性は、当時の社会へ与える破壊力はすさまじいものでした。

ちょうど2000年を過ぎてくると、ITという言葉が社会に浸透して、私たちの会社もIT企業と呼ばれるようになります。
余談ですが、IT企業と呼ばれるまでは、よく「パソコン使って何かやってる会社」というシンプルだけど抽象的な呼名で会社を紹介されることが多かったものです。世の中に、新しいジャンルの産業分野としてIT分野が浸透するまで、ずいぶん時間がかかるものだな、と思ったことを思い出します。

そして、この頃、私たちの会社は、ITを通じて新しいビジネス分野に挑戦していきます。

ITを通じて新しいビジネス分野に挑戦

当時、高速インターネットがあれば、どこでも仕事ができることに気づいていました。
そして、東京を脱出することを決意します。

行き先は、北海道の田舎。北海道ではいろいろ貴重な経験をしました。なにせ、田舎にもかかわらず、あんなに長期滞在をする外国人観光客が来る場所はありません。まさに異空間です。スキー場の近くのコンビニやにぎわう街角・街中に英語が溢れているのです。日本語を使わなくても、普段と変わらない日常生活ができる特異な町でした。

新規事業立ち上げがビジネスに

青天の霹靂のように、また東京に戻ってくることになりました。東京の企業から、東京で新規事業の立ち上げを一緒にすることになったからです。新規事業の立ち上げは、コミュニケーションとプロジェクトマネジメントが肝になります。プロジェクトを進めるには、全体を把握し、手がまわらない業務は、積極的にサポートし、円滑に進むために隅々まで気を配ります。戦略、交渉、スキーム、組織体制を把握し、チームでの対話を通して、見えてくる課題にも対応してきました。

それから

だからこそ、思うのです。
事業承継に関する悩みは、多岐に渡ります。

大企業生涯安定仮説が、崩れ去った今、私たち団塊世代の多くの人が、この問題に直面します。
そんな時に皆さんの知恵が誰かの問題解決に生かされることを願っています。